聖戦
彼は天使族の偵察隊だった。
 それも、たった一人で敵陣へ乗り込むスパイだった。
 味方の今後の運命を決めることになるやもしれぬ敵情視察は、非常に重要な任務である。だからこそ彼のような優秀な人材が選ばれたのだ。しなやかな身のこなし、鋭い観察眼、とっさの判断力、類い希なる能力、そして勇気とを兼ね備えた一族随一の力の持ち主だからこそ、この長く続いた戦いに終止符を打つための大切な判断を委ねられることにもなったに違いない。
 そう、本当に長い戦いであった。始まりへ遡れば、桁は四を数えられるほどの年数が経っていた。その原因がいったい何であったのか、今ではもう知る者はない。それでも戦いが収まらないのは、もちろんあまりに多くの犠牲が払われたためでもあるし、また双方の考え方が正反対だからでもあった。
「悪魔どもめ」
 彼は憎々しげにひとりごちる。到着した丘の上からは悪魔族の居城が見えた。何百年も探し続けやっと発見することができた敵の本拠地だ。ただいるだけでも身体が軋みそうな禍々しい空気。天使族の彼にとっては身体を蝕むこの邪気も、悪魔族にとってはこの上なく快適なものなのだろう。そう思うとますます気分が悪くなる。
 迷いを振り払うように二度軽く頭を振ると、彼は背中を翼を広げ城内の様子を探るために飛び立った。
 いや、飛び立つつもりだった。
 しかし彼の身体は意思に反して徐々に力を失ってゆき、立つことさえままならなくなっている。
 いくら邪気が濃いとはいえ、天使族屈指の力を持つ彼が容易にやられるはずもない。彼自身にわかには信じられず、ぼやけはじめた視界で周囲を見回した。嫌な予感を覚えて視線を這わせた岩陰には、勝ち誇った表情をたたえる数人の悪魔族――
(な、に……ッ!?)
 彼は自分が油断していたことを知った。胸部に重い衝撃が走り、たまらずどっと地面に倒れ伏す。
「おまえは泳がされていたのだよ」
 悪魔族の一人が意地の悪い笑みを浮かべてそう告げた。
「力が入らないだろう? 魔力封じの杖……その名くらいは知っているかな」
 その手にはシルバーに輝く華奢な棒が握られている。そこからあふれる光の屑が彼の身体を包み、力を吸い取っているらしかった。
「く、そ」
 杖の力を借りねば戦えないのか。一対複数で嬲るつもりなのか。
「卑怯、もの……ども、が」
 せめてもの抵抗のつもりで、彼は悪魔たちを睨みあげる。
 すると、
「卑怯、だと? 何を馬鹿なことを」
「卑怯なのはおまえたち悪魔族の方ではないか」
 悪魔たちが口々に反論しだした。いかに自分たちが清い存在であるか、そしていかに天使族が穢れた存在であるかを。
 当然、彼は反論した。
「遣り口が汚いのは貴様らの方だ。悪魔の分際で天使の名を語るなど……断じて許せぬ」
 それに対し、返る反論は数倍。
「我々を悪魔呼ばわりするか、この悪魔め」
「おまえたちがしてきた仕打ちを胸に手をあてて良く考えてみるがいい」
「その黒い翼が悪魔の証だろうに」
「そもそもおまえたちは……」
「…………」
 
 天使族と悪魔族。彼らの戦いは本当に長い戦いであった。
 争いが収まらないのは、双方の考え方がまさに正反対だからであった。
 



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